MONTHRY EDITORIAL02

Vol.29 | 真の芸の道とはtext by Mariko OKAYAMA

芸術文化振興費が仕分け対象になったことを受け、指揮者の小澤征爾や、歌舞伎の市川団十郎が民主党に抗議に出向いた。ラフなダウンを着込んだ小澤が、応接室で小沢幹事長に陳情するニュース・シーンを見て、小澤と小沢の対決ね、と面白がったのは不謹慎であろうか。
クラシックでも歌舞伎でも、子どもたちに本物を、生のステージを、といった趣旨の企画が削減対象になったのは文化の重要性を理解していない政治家たちの不見識、という声を私もずいぶん聞いた。
にしても、こういう場面に登場するのがクラシックや歌舞伎の大御所で、たとえば、ロックやポップス、ジャズ、演歌の帝王たちが出てこないのはなぜだろう。
いや、仕分け現場の見学に内田裕也が銀髪なびかせて現れたニュースは見た。おお、さすが裕也さん、ロックだぜ、と私はちょっと感動したものだ。彼は、どんな項目が、どういう理由で削減されたり却下されたりするのか、その様子を偵察に行ったらしい。立派だ。

 

とにかく、NHKの紅白登場にスタジオ通路がすずなり拍手の花道と化した矢沢永吉が、民主党に乗り込んだ話は聞かないし、日野皓正や北島三郎もしかり。
当たり前だ、彼らの活動に国の補助金など基本的に関わりないからである。あったとしても、大勢に影響はないのである。
言ってみれば、大衆が背後できっちり支える領域については、国がわざわざ補助金など出す必要などないし、移り気な大衆がいずれ見限ってゆくのであれば、しょせん浮き世のあだ花、滅びるものは滅びるにまかせてよろしい、ということだ。
実際のところ、演歌などJポップに席巻され、もはや息絶え絶えであることは、何より紅白が如実に物語っている(私はたまたま、小林幸子や美川憲一、永ちゃんの出陣時にチャンネルを回したのだが)。
もっとも、これも時代の趨勢で、いずれ演歌が巻き返してくることもあろうかと思う。


そういえば、悠雅彦氏が本誌コラムで、昨年度の文化庁主催の芸術祭からジャズ公演が消えたことを嘆いておられた。ジャズは国の支援や援助などとは無縁の音楽であるべきだとする考えへの批判や、芸術祭予算がクラシックや邦楽に集中する現状から、ジャズを含むポピュラー音楽を見下す偏見、差別への指摘もそこにはあった。クラシックは芸術音楽でジャズは大衆音楽、という明治以来の西洋至上主義の名残があるのではないか、とも。(http://www.jazztokyo.com/ronsetu/v29/v29.html
西洋至上主義は、名残どころではない、今もおおいに闊歩していると私は思う。
それが今回の仕分けへの反応でも歴然と出ている。クラシック音楽は国によって保護されて当然、削減などとんでもない、という認識がいったいどこから来るのかといえば、やはり明治期の「芸術」輸入時の認識にあろう。
この種の論議に常に引き合いに出されるのは、欧米における芸術・文化保護例で、これに比べて日本は遅れているとか、不見識、との批判だ。が、これはいささかねじれた物言いであろう。
欧米の芸術・文化保護政策は、いわゆる芸術と称されるもの(「芸術」とて、近代の産物であるのだが。この経緯は松宮秀治著/白水社『芸術崇拝の思想』に詳しい)が常に富や権力の装飾品であった彼らの歴史の流れの上

 

にある。一方、日本とて富や権力の庇護のもとに王朝文化や芸能が花咲き、伝統文化と呼ばれるものを生んできたわけだから、そのパターンは同じだ。その意味で、保護を唱えるなら、クラシックは富や権力の庇護のもとにあるべき我が国の文化だ、とシンプルに言えばよいだけの話で、欧米を引き合いに出す必要などない。西洋至上主義が未だに、とは、こうした点にも明らかではないか。
さて、考えたいのは、高尚な芸術は国の保護があってしかるべき、世俗の大衆芸能は世に連れ、流れのままにゆけばそれでよし、あるいは、そうであるべき、という差別あるいは区別意識のことだ。
ジャズやポピュラーは富や権力(体制)へのアンチとしての源泉を持つ、もしくはそういう位置付けにある。したがって体制とは距離を置く、もしくは常に反体制というありようを失ってはならない。国の支援とは無縁であるべき、とは、ここから発する見解だろうが、これは体制と自分たちの立ち位置を峻別する区別意識であって、優劣の差別ではないはずだ。
自分たちのやりたいことは、自分たちの力、金でやる。やれることを、やれるだけやる。国の保護など不要だ。それが、この領域で生きることを選んだ芸の人間の矜持なら、なんとも清々しいではないか。
というふうに、納得すること自体が、差別意識を助長するのだろうか。


歌舞伎は今日でこそ日本の誇る伝統文化とされるが、こちらも明治期、歌舞伎をオペラのような日本の国劇へ、という文化的欧化政策があってのことである。
歌舞伎は江戸文化の華だったが、能楽が幕府の手厚い保護のもとにあったのに比べ、下賎のものと差別、弾圧され続け、役者たちの住居もゲットー化されていた。
五世市川団十郎が「錦きて畳のうえの乞食かな」と自嘲した河原乞食と呼ばれる時代が、歌舞伎にはあったのである。幕末期の舞台にはポルノまがいのものも多く、婦女子の観劇するものではなかった。
これを、高尚な演劇、修身道徳の鑑、婦幼への歴史教科書となるような演劇へ改良し、貴族や外国人も観劇できるようなものへ、と指導したのが当時の東京府庁である。
こうした空気のなかで、西洋の劇場での国家補助金の話を聞いた守田勘弥は、我が国でもそういう時代が、と、歌舞伎の社会的地位の向上への希望をも抱くのだが、彼自身は、設立した新富座を借金で手放し、膨大な負債を負ったまま病没(明治30年)している。
歌舞伎が、天皇臨席の天覧歌舞伎を成し遂げたのは明治20年のこと。天覧能が明治9年であれば、その年月の差だけ、能楽と歌舞伎の差別の実体が了解できよう。
振興費削減に苦言を呈すべく政府与党に出向いた団十郎の背後には、こうした歴史がある。
それは差別偏見と闘い、勝ち取った地位に違いないが、今の時代、歌舞伎への差別意識など、私たち一般にはまずあるまい。

 

昨年、天皇在位20年を祝い、EXILEが奉祝歌を捧げて話題となった。寒風のなか、彼らが歌い踊る特設ステージを、やはり寒風吹く二重橋上から天皇・皇后が身を乗り出して鑑賞する姿は、いわば天覧Jポップ。
在位10年の祭典の折にはX JAPANのYoshikiが奉祝曲を弾いたが、こちらは天覧ロック。
もっとも、これらは国民祭典の場であって、国立劇場で行われた記念式典にはクラシック界のスターがずらり並んでの記念演奏となった。
差別はやはり在るのであって
、吹きっさらしの皇居前広場を埋める国民に寄り添う皇室のコマーシャルに、大衆音楽のスターたちが使われただけとも言える。 「天覧」が、一つの権威の象徴であることは、日本の顕彰システムにも明らかだが、このあたりの構造は明治、昭和から平成の今日までひきずる問題でもあろう。
にしても、やはり時代は動き、変化しているのだ。
体制の内か外か、といった括り。高尚か低俗か、といった差別。そういうものが、時代とともに崩れ、消えてゆくのは、歌舞伎の来し方が示していよう。
だが一方で、ものごとは必ず、内と外、上と下、表と裏という関係性の中に成り立つ。
そのように、流動と定位の間にあって、実は、時の権力、富、はたまた天皇制とも関わりのないところに、柔軟にすっくと立つのが、真の芸道というものではなかろうか。


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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