#  906

『Dan Tepfer/Goldberg Variations/Variations』
text by 悠 雅彦


Sunnyside Communications
SSC - 1284

1)Aria (Bach/Tepfer)
2-61)Goldberg Variations BWV 988 (J. S. Bach)
3)Aria (Bach/Tepfer)

Dan Tepfer piano

Recorded May ~ June 2011 at Yamaha Artist Services
New York on the Yamaha CFX piano

 このCDをヨーロッパでアーティストやレコード吹込などのプロモーションを展開している内田泉氏の話では、ダン・テファーはパリ生まれの米国のピアニストで、現在ニューヨークに在住するという。リー・コニッツとのデュオで話題を集め、欧米のフェスティヴァルに出演して賞賛を博しているとのこと。
 このCDで初めて聴いたダン・テファーは、しかし特定のスタイルやカテゴリーの狭隘性から解き放たれたすがすがしいスピリットを持つ、味のあるピアニストだった。とりわけ、テファーがここで取りあげたバッハの「ゴルトベルク変奏曲」は、つい先だってクラヴィーア演奏用の原曲を私が知る限りでは初めてオーケストラ用に編曲(野平一郎)した演奏(愛知セントラル響)に大きな感銘を与えられたばかり(詳しくは直近の「食べある記 VII」に所収)。のみならずそうした優れた演奏の数々や、世界のさまざまな演奏家による同曲のコンサートを集中的に催してきたトリフォニーホール主催のコンサートと並べても際立ってユニークな演奏だったという意味で、中でも「ゴルトベルク」のファンだと自認する人たちに推薦したい気持もあって取りあげた。
 「ゴルトベルク変奏曲」はアリア(主題)と30の変奏曲からなる。この吹込でテファーは最初の主題提示後バッハが書いた原曲を自身の解釈で演奏(クラシック)したあと、一呼吸おいてテファーなりの即興演奏(ジャズ?)を披露する形で全曲の演奏を進める。すなわち、このCDは提示と掉尾のアリアを除けば、全60という通常の倍のトラックから成る。CD時代ならではの試みといってもいいと思う。テファーのこの試み(前代未聞というと大袈裟に聞こえるが、多分そうではないか)が面白いのは、アリア(主題)を分解して答えを出していくバッハの各ヴァリエーションに対して、私の答えはこうですというテファーのヴァリエーションが現代に生きる演奏家の優れた実践例になっていることだ。特筆すべきは、バッハの変奏曲は各1分前後(3分弱の第13変奏や4分弱の第25変奏を除けば)だが、テファーの回答もほぼこれにならった時間で収まっている点だろう。その面白さを全30通りの変奏曲にわたって述べる紙幅はないが、たとえば第5変奏や第21変奏のようにキース・ジャレットのタッチや楽想をしのばせるトラックもある。たとえば後者はとりわけバッハの心安らぐ旋律に、さすがのテファーも逆らえないといった、目に見えない心の綾が聴く者をとらえる演奏となっている。
 こうした曲ではどこが一番いいといった指摘は難しいし、のみならず大した意味を持たない。ただ演奏によってはバッハの時代(バッハは1741年に作曲した)と現代との対比が大胆に発揮されたものもあれば、テファー自身がバッハの問いかけに立ち止まって考え込んだりしている様子がうかがえるトラックもある。ジャズ的なリズムの跳躍とか、たとえば左手と右手をチェイス風に競わせる演奏(第17変奏)もあるが、バッハに対してテファーがジャズ・ピアニストとして答えているわけではないことだけはあらかじめ理解しておくべきだろう。いずれにせよ、バッハが生きた18世紀半ばと21世紀の現代という長大な時を超えた演奏の対比でいえば、テファーの演奏を通して聴くと時代の差異が大して感じられない演奏もあれば、逆に景色がガラリと変わる演奏もあって、この「ゴルトベルク」はなかなか示唆に富む。
 ここでのテファーのバッハ演奏は明快で詩的なニュアンスにも富む。その結果といっても言い過ぎではないと確信するのだが、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」がいかに内容に富む傑出した作品であり、バッハが当時抜群に優れた即興の名手であったことに思いいたる。それだけテファーというピアニストとしての高い演奏クォーリティが証明された演奏といってよい。(2012年4月16日記 悠 雅彦)

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