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シュテファン・モェラー ピアノ・リサイタル
2011年4月13日(水) @東京文化会館小ホール
Reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya)

シュテファン・モェラー(Stefan Moeller) pf
≪プログラム≫
ベートーヴェン/リスト:交響曲第9番ニ短調op.125
T・・・Allgro ma non troppo, un poco maestoso
U・・・Molto vivace - Presto -TempoT
V・・・Adagio molto e cantabile
W・・・Presto

*アンコール
ベートーヴェン:バガテルop.119-3
          バガテルop.126-1

シュテファン・モェラー(Stefan Moeller)。地味な存在のピアニストではある。1955年 ハンブルク生まれ、ドイツ国内およびザルツブルク・モーツァルテウム音楽院で研鑽を積み、1983〜85年のザルツブルグ音楽祭ではカラヤンの助手も務めたこともあるという実力派。現在もウィーンに住み、ウィーン国際ピアニスト協会会長、オーストリア音楽協会理事も務めているという。この日は 、ベートーヴェンの交響曲第9番(リスト編曲)を引っ提げての公演である。先の大震災で来日アーティストの来日キャンセルが続く中、まだまだ不安な空気が濃厚に立ち込めていた4月半ばに予定通り演奏を決行する雄姿にまず快哉を叫びたい。プログラムが「歓喜へ寄す」で有名な交響曲であり、シラーによる楽曲のテーマ「人類はすべて兄弟である」にプログラム冒頭で言及し、強い哀悼の意を述べている。

交響曲のピアノ一台演奏、というとイメージするのがシプリアン・カツァリスのような超絶技巧ピアニストである。多分にそのまま「リスト弾き」としてしっくりくるような器用な器楽奏者。しかし、モェラーはそのようなタイプのピアニストではない。もともとオーケストレーションをピアノ一台で表現しようとする試みは、文字通りチャレンジであり、永遠の「未完」の連続である。なによりも編曲者のフランツ・リスト自身が骨身に染みたことだろう。これは音楽、ひいては芸術の性質そのものへの挑戦にも繋がる。そもそも「完成はありえない」領域なのであるから。「楽譜として一応の完成を見た作品をいかに解釈するか」と「楽譜としても未完の作品をいかに表出するか」との間に横たわる溝はどのようなものなのか。フォーカスされるのは音符の行間から汲み取るセンスそのものであり、再現力というよりはインプロヴィゼーションに近い構成力が求められよう。また、通常のクラシックの演奏ならば、ピアニスティックな面がどうであったかのみ焦点になりやすいのに対して、音楽成立上の構造の面も前面に出ざるを得ない。

さて、まずそのピアニスティックな効果はどのようなものであったかといえば、学究肌のモェラーの几帳面な性格が各楽章を通して反映されていたと言える。夥しい音数を二手に治めるにあたり、各パートを入念に再現しようとする研ぎ澄まされた意識が幾層にも渡って息づく。それぞれの音がくっきりとした明晰さを持ちながらも連なるときのテクスチュアの肌理の細かさ。さながら先の細いペン先で入念に色彩を施すかのような律義さに隅取りされる。オーケストラのトゥッティ部分の迫力を88鍵で劇的に構築する箇所では、演奏者が指揮者を兼ねるようにまとめ上げでゆくが、柔和このうえない弱音部から強靭なハンマーをふり降ろすかのような強音部まで、一陣の風が吹き抜けるかのようなうねりはなかなかのもの。惜しむべきは強音になればなるほど音に破綻が生じるところで、これはベートーヴェン解釈に忠実になりすぎるときに生じる垂直な打鍵から来るのか、音楽の「グルーヴ」を重視したときに直観で選択する、エモーションと勢い偏重から来るのか。正直言ってこういった選曲のプログラムでモェラーのピアニストとしての個性を推し量るのは難しい。表現とは別の部分での構造上の「工夫の跡」が立ちはだかり、こちらの純粋な判断を鈍らせる。

前述のとおり、第一楽章と第二楽章ではオーケストラの勢いやグルーヴの表現に聴き手の関心は向ったが、緩徐楽章と「歓喜へ寄す」を含む最終楽章において、モェラー本人が持つ音色美と対位法を活かしきった構成力が渾然一体となった、なかなかに色彩感覚豊かな世界が現出されていたといえる。そのキャリアから伝統的なジャーマン・ピアニズムの継承者であることが窺えるが、ショパンやドビュッシーといった外向的な華やかさや繊細な音のスライドというよりは、まず太い響きの幹が打ち建てられ、その内部に様々なくぐもりの反射を見るかのような内向的なロマンティシズムがしっくりと来る。ベートーヴェンの他に、シューマンやブラームスを聴きたいと思わせる。この日のとりわけ後半の楽章においては、表層は決して派手ではないが実はその内部に様々なニュアンスを併せ持つ音色の奥行き、或いは「鳴らし」自体は非常にシンプルでありながら、楽器の素朴な材質感をストレートに感じさせる瞬間が多々あった。例えば、ハンマーの響振が複数に折り重なったとき、そのてんでばらばらのハンマーの戻りが生む想定外のムーヴメントの楽しさ。入念な対位法の弾き分けが図らずも含んでしまう、厚みも色も異なる音の葉の連なり。それらは多重録音にも似た現代性を生みはしまいか。そういった残響や間合いを楽しむのに、やはり緩徐楽章が適していたということである。

いよいよ「歓喜へ寄す」を含む最終楽章。モェラー自身がプログラム・ノートにも記しているように、リストが2手1台のピアノにトランスクリプションする際最も苦心した箇所であるのが、この「人声」の処理であるという。オーケストラ・パートが2段のピアノ用大譜表で書かれ、さらに2段独唱と合唱が別に記された譜面。我々の脳裏に刻みこまれているのは迫力満点の大合唱のメロディであるが、この日モェラーがピアノによって表出した人声は非常に柔和な、ささやくようなニュアンスが清冽であった。ピアノという楽器でオーケストレーションを凝縮するとき、打楽器の属性が優勢になってしまうのは必定である。風のような弦楽器の音の伸びや、刃物の切れ味とも紙一重のひりつくような擦弦の妙は出しえない。ペダルで補うのにも限りがある。そうした楽器の構造を熟知したうえで、あえて人声の部分は他のパートにすべり込ませるようにソフトに織りなす。単調になりかねない音質を効果的に差異化し、「結果として」大きなインパクトを生んでしまう。非常に周到で理知的なアナリーゼである。オーケストラ・パートだけでも2手に凝縮するには困難を極めるのに、そこに多声部から成る人声を加えるなど殺人的である。何を切り何を拾うか、楽曲構成上重要なパートと自分が表現上ヤマとしたい箇所が一致しない場合にどう折り合いをつけるか、といった決断力や頭の良さ、ひいてはアーティストとしてのセンスが如実に問われてくる。「リストの入れ物でベートーヴェンを奏する」という、そもそもの始まりからして入れ子構造のパフォーマンス、どこで「リストらしさ」を表現するかといえば、このクールな取捨選択の部分であろう。

アンコールではベートーヴェンのバガテルを2曲。宝石の原石の研磨にも似た根気勝負の後だけあって肩の荷が下りたのだろう、実にすがすがしく小気味よい演奏だった(*文中敬称略)。



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