Concert Report#429

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノリサイタル〜The Legendary Romantics第二夜
2012年5月9日(水) @東京・サントリーホール
Reported by 伏谷 佳代 (Kayo Fushiya)
Photos by 林 喜代種 (Kiyotane Hayashi)

出演:
イーヴォ・ポゴレリッチ( Ivo Pogorelich ; pf )

プログラム:
ショパン;ピアノソナタ第2番変ロ長調op.35「葬送」
リスト;メフィストワルツ第1番S.514
  〈休憩〉
ショパン;ノクターンハ短調op.48-1
リスト;ピアノソナタロ短調S.178

あなたは何を受け取るか

異端とは、必ずしも破天荒を意味しない。イーヴォ・ポゴレリッチほど、思慮深くソフィスティケートされた音楽を奏でるひとはいない...リサイタルを聴き終えての実感である。どのようなタッチで、どういう推移を経た演奏だったか、といった通常の経過報告的な感想(自戒も含め)がこれほど意味をなさないアーティストはいまい。彼が聴き手に差し出すのは、「自分が生涯をかけて、作曲家から何を受け取ってきたか」である。だからこそ我々にも「あなたは私の演奏から何を受け取ったか」とストレートに問うて止まない。また、その「何を受け取ったか」も即答できるものではなく、公演が終わってからもしばらく熟考を要す。それはまた、ポゴレリッチを聴くたびに長い時間をかけて更新されてゆくものだ。「わけがわからないがとにかく興奮した」というような答えは間違っても生まれない。


表裏一体の作曲家と奏者、間にいかなるジャンルもない

もちろん、外面はエキセントリック極まりないように映る。しかしそれは、耳で聴こえる範囲での、しかもほんの外皮的なものだ。よく人の美醜を表現するときに使われる、「パーツのそれぞれは美しいけれど、全体のバランスがどうもいまひとつ」というのがあるが、ポゴレリッチの音楽も、表層はまさにそれに当て嵌まる。パーツごとの、たとえようもなくピュアで、無防備といえるほどむきだしの音たち。時として、痛いほどの感情を写しとるだけの空虚な穴であったりするそれらは、個別に見ればそれぞれが美しい。しかし、そこからがポゴレリッチ流で、「なぜ全体のバランスを取らなければいけないのだ。バランスはそれほど重要なのか」と無言で押してくる。極めて理知的に。喜怒哀楽もあまりにストレートに示されると、逆にストイックさを帯びてくる。例えば冒頭の『葬送ソナタ』。全体の音像のアンバランスさは特筆もので、豊かな和声の中間部があえて削り取られるような瞬間が多々あり、リズムまでが消失するような真空を生んだりもする。躊躇のない静止と、突如として振り下ろされる有無を言わせぬ破壊的なフォルティッシモ。表情は両極に異なるが、どちらもその破滅的魔力においては同質である。並み居る『葬送』は第3楽章「葬送行進曲」がもっとも陰鬱に沈むのだが、ポゴレリッチの場合はこの章が饒舌だ。フレーズがフレーズを成さないほどに断片化された、覚束なく遅々とした足取りが、この章に向けて徐々に回復されてくるのである。指に血が通うのと歩みを合わせるかのように、音楽の流れもリハビリされる。ぐしゃりとした歪曲の連続に慣らされたあとに訪れる、ひとすじのフレーズ...あたかも、音のモザイクによって復元される現世だ。澱みなく流れるようでいてもっとも儚(はかな)く、諦念に満ちる。思えば、作曲家の意図を汲み取るという点において、これほどリアリスティックな解釈もあるまい。

一歩進んで、天才・リストのみならず、彼が題材としたパガニーニとメフィストフェレスが一瞬にしてデモーニッシュに、折り重なるように立ち現れたのが、『メフィストワルツ』である。精確に言えば、冒頭の5度連打の第1拍目の刹那にすべてのエッセンスは凝縮される。火入れされた鉄から火の粉が飛び散る瞬間に立ち会うかのような衝撃。この一音で、曲のすべてが表現されたといっても過言ではないほどの強烈なインパクトを刻む。クラシックでも現代音楽でもジャズでもない、紛れもないポゴレリッチ流でありながらも、同時に例えようもなくリストであるのだ。


深化しつづけるロマンティシズム

『ノクターン』と『ソナタロ短調』についても、もはや長々と述べる必要はないだろう。凝縮力の高い音色、ヒステリックに軋む時間感覚、激情と虚無の背中合わせの変幻...それらは宗教性すら漂わせつつ広大なユニヴァースを形成するが、とりわけ『ソナタロ短調』など、執拗に繰り返される迂回が、楽曲の構造を損なうことには決してならない。むしろ、その革新性が露わになる。いつ終わるとも知れぬ演奏時間の長さが、時の風化作用にも似たまろやかな滋味をも付与する。時折かすかに訪れる、執着を超えた没入の先の、何者にも属さぬ空間。そこに人知れず遊ぶ姿を垣間見るかのような、まぶしい瞬間を共有できることは、何よりロマンティックな体験である。ポゴレリッチの演奏には、ジェンダーなど軽く凌駕する、濃厚にして深化しつづける人間性の魅力の本質が詰まっている。そして、それを音楽へうつし取る行為への、限りなき潜在力。プログラムで力を出し切ったと確信したとき、ポゴレリッチはアンコールを弾かない。もちろんこの日も、プログラム4曲でコンサートホールは飽和した(*文中敬称略)。  









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