#9「マイルス事始め/小川隆夫」
text: Moto Uehara 上原基章
photo: Shigeru Uchiyama 内山 繁
今回の配信はマイルス特集、日本でマイルスといえば小川隆夫さん!ということなので、小川さんとマイルスとの出会い(ファンとして、そして取材者として)をタップリ伺いました。
マイルスって誰?の初遭遇
上原:一番最初にマイルスは何で聞きました? いつ、何を?
小川:最初は偶然なんだけど、1964年に初来日した時に兄貴がチケット持ってたんだよ。家では結構兄貴がジャズを聴いてたんだけどボクは全然興味なくて、ただ流れてるのを「ああジャズだな」くらいしか思っていなかった。かかってるレコードが誰かもわからなかったし。その兄貴がマイルスのコンサートに用事で行けなくなっちゃった。無駄になるともったいないから「お前行くか」って言うから、何も知らないけど行ってみようと思って行ったのがそもそもマイルスを聴いた最初。14歳の時なんだけど、これが全く覚えてないんだ(笑)。
上原: ライブ盤になった新宿厚生年金会館の公演(7月14日)ですか?
小川:そうそう。でも、当時のボクはマイルスという名前は知ってたけど、トランペットを吹く人だということぐらいしか知らなかったんだ。だってその頃はロックしか聴いていなかったし。ジャズをやってる人という以外、マイルスが一体何者か全くわからないままコンサートにただ行って帰ってきただけ。だから何も記憶がないんだよ。
上原:それは面白いですね!せっかく初来日のマイルスを体験できたのに!
小川:席は後ろの方だったんだけど、マイルスの音がPAを通してすごい大きな音だったってことくらいしか覚えていない。あと、みんなタキシードを着てステージに出てきたから「ジャズってスマしてるもんだな」と思ったのは思い出した(笑)
上原:いや、今の小川さんからは想像できないな!
小川:それが64年の7月でしょ。その1ヶ月後ぐらいに偶然ゲッツ&ジルベルトのレコードを聴いたんだよ。その頃はクラシック・ギターをやってたから、ジョアン・ジルベルトのアコースティック・ギターのナイロン弦の響きがいいなと思って、それで『ゲッツ/ジルベルト』(Verve)を買ったのが初のジャズのレコード。オレはスタン・ゲッツのことを「ボサノヴァの人」だと思っていて、次に買ったスタン・ゲッツのレコード(『ジャズ・サンバ』)もやっぱりボサノヴァだったわけ。まだ中学2年生だったから小遣いもなかったから、ゲッツの3枚目(『ゲッツ・オー・ゴーゴー』)を買うのにまた1年ぐらいかかったんだけど、それがストレートなジャズだったわけ。そこで初めて「この人はジャズの人だったんだ!」って分かって、そこからようやくジャズに足を踏み入れたんだ。
上原:なるほどね。
小川:でも、この段階でもマイルスのことは全く知らない。スタン・ゲッツから入ってジャズ・サックスがいいなと思ったわけ。そこからコルトレーンに行くんだけど、そのキッカケがまたアレなんだ(笑)。当時のヤマハ銀座店にはフロアの真ん中に「ミュージック・バー」っていうのがあって、そこでレコードを試聴させてくれるんだけど、そこにいるお姉さんに会いに行くのが楽しみだったりもして、彼女に「サックスっていいですよね」って言ったら「じゃあ、これを聴いてみれば?」って出されたのが『ジャイアント・ステップス』で、これが自分で買った4枚目のジャズ・アルバム。そこからソニー・ロリンズとかも聴くようになって、その先にマイルスがいるんだけど、まだアルバムは買ってない(笑)
上原:マイルスまでの道は遠そうだ(笑)。
小川:最初にジャズのコンサートに行ったのが14歳の時で、高校生になった16歳くらいから地元の渋谷のジャズ喫茶に出入りするようになるわけ。
上原:どの店に行ってました?
小川:当時は実家と同じ通りにあった『デュエット』。向かいの『ジニアス』はまだその頃はなかったな。店では何時間も粘っていろんなアルバムを聴いて、気になったものはジャケットを手に取ってメモしたりしてた。当然マイルスも聴いてるんだけど、この時点ではまだピンと来ない。で、高校2年辺りから受験勉強が始まるんだけど、深夜放送にジャズの番組があったのね。そこの「今月の新譜」っていうコーナーが好きで、ある日『マイルス・スマイルズ』がかかったんだ。あれは66年の録音だから日本で出たのは67年だと思うんだけど、それを聴いて「すごい!」と思ったわけ。なんだか知らないけどハマっちゃったんだよ。そこからジャズ喫茶でマイルスをリクエストして『マイルス・スマイルズ』以前のアルバムを少しずつ聴き始めて、その後は新譜が出るたびにリアルタイムで追っかけながら過去作を聴いていくっていうのが、ボクのマイルスの聴き方になった。
上原:そのFM番組は何だった覚えていますか?
小川:NHKの夜11時とか12時台の時間帯の番組だった。DJはよく覚えていないんだけど、矢堀さん…いや、湯川さんかな?週によって湯川さんとか、あと岩浪さんとか、磯貝さんとか、司会は何人かで交代でやってたと思う。
上原:67年辺りだとCBSソニーはまだ出来ていないから、Columbiaレーベルを日本コロムビアが扱っていた時代ですね。確か『カインド・オブ・ブルー』に『トランペット・ブルー』ってとんでもない邦題をつけた。
小川:何しろ高校生で小遣いはないから、レコードも月に1枚買えるか買えないか。だからジャズ喫茶で色々聴いて、店に置いてある『スイングジャーナル』も知って定期購読するようになったのが確か67年の12月号。もう隅から隅まで繰り返し読んでジャズの事を学習していったっていう時期だったな。
上原: せっかく64年の初来日公演を生で聴いてるのに(笑)
小川:そう、サム・リヴァースがめちゃくちゃだったとか、そういうことさえ全く記憶にない。ほんと、唯一覚えてるのはマイルスの鋭い音とメンバー全員がタキシード姿だったことだけだよ(笑)。
上原:ともあれちょっと後追いで「マイルスはすごい!」と思い始めてこの人についていこうと思ったわけですね。
マイルスのカッコよさに気づいてしまう。
小川:『マイルス・スマイルズ』の後に『ソーサラー』から『ネフェルティティ』、そして『イン・ザ・スカイ』になるじゃない。
上原:67年から68年にかけてですね。
小川:ジャズ喫茶で新譜を聴いてると、突然フェンダー・ローズの音が出てきてビックリしたわけ。それがなんか「時代の響き」というか「ジャズが変わってきた」っていうのを肌で感じた。『イン・ザ・スカイ』でちょっとロックっぽくなってきたから、普段ロックを聴いてるボクには「マイルスが近づいてきたな」と思ったんだ。それで『キリマンジャロの娘』から『イン・ア・サイレント・ウェイ』が出て、69年に『ビッチェズ・ブリュー』が出た時はボクが大学に入った時で、高校の時からロックのバンドをやってたんだけど「大学入ったらジャズのバンドやろう」と思っていたので、友達にトランペット吹く奴がいたからそいつを誘ってエレクトリック・マイルスみたいな演奏をしていたのが70年ぐらいかな。
上原:サウンドは『ライヴ・イーヴィル』的な?
小川:いや、アマチュアだからそこまでは無理(笑)。一応オリジナルと称してマイルスっぽいリフのちょっと凝った曲とか作ってやったけど、まあすごく拙いもんでさ。ただ、エレクトリック化したっていうだけで楽しかったよ。
上原: 73年に来日した時のコンサートは行かれましたか?
小川:64年が初マイルスだったけど、ちゃんと「マイルスいいな」と思って観たのは73年の新宿厚年金会館。通っていた大学がホールのすぐ裏だったから、コンサートの度に楽屋口で入り待ちしてるわけ。マイルスは当然ハイヤーで来るけど、他のメンバーは裏の路地から入ってくるから、結構話すことができたんだ。それでボクはMtume(エムトゥーメ)と仲良くなったわけ。
上原:それはまたどうして?
小川:学校の前に喫茶店があって店でレコードをかけてたんだけど、ボクらが「ジャズだけにしようよ」ってその店をジャズ喫茶に変えちゃったんだ(笑)。そこにアルバイトでジャズ好きの可愛い女の子がいて、彼女は学生のアイドルみたいな存在だった。それで彼女と一緒に楽屋口にいたら、Mtumeが彼女に目をつけちゃったんだよ!それで彼の方から「終わったら会おう」ってなって、終演後に楽屋口で待ってたらMtumeとレジー・ルーカスが出てきて「ご飯食べよう」ってなって。この時は5日間ぐらい東京公演があったんだけど、毎回そうしてボクとMtumeは仲良くなったわけ。今思えば、それがジャズ・ミュージシャンと知り合った最初なんだよ。
上原:その時マイルスとはコンタクトしなかったんですか?
小川:当然マイルスも楽屋口から出て来るじゃない。でも、2、3メートルのところにいるんだけど眼光鋭くてもう誰も近づけない。すごいオーラだったよね。
上原:その後75年後半から81年くらいまでマイルスは隠遁期に入りますが、小川さんは80年代頭にニューヨークに留学しますよね。
小川:ニューヨークに着いたのは81年の8月3日で、マイルスのカムバックはすれ違いだらけだった。ボストンの「KIX」が6月下旬で「Avery Fisher Hall」が7月5日、7月中旬に3日間「Savoy」に出たんだけど当然見られない。ニューヨークに着いてすぐ調べたら「マイルスは全米ツアーに出てしばらくニューヨーク公演はない」って言われた。当然10月の日本公演にも行けないし、結局カムバックした姿を観ることが出来たのは大晦日の「Beacon Theater」だった。
上原:大晦日公演でのマイルスのコンディションはどうでした?
小川:11月にテレビを観ていたら『サタデー・ナイト・ライブ』にマイルスが出演してたんだけど、もうヘロヘロで幽霊みたいにボーっと出て来て全然覇気がないわけ。後にインタビューした時に本人から聞いたら、体調がすぐれないまま10月の日本公演で寒い会場(新宿西口広場※現在の都庁舎)で演奏したことでさらにコンディションが悪化して帰国した直後に収録されたものだったんだって。大晦日のステージもそんなに元気はなかったけど、演奏はやっぱり面白かったよね、マイルスが吹いてる時のバンドは最高なの。でも、マイルスが抜けると単なるフュージョン・バンドになっちゃうなとも実感した。
リアル・マイルスに接して・・・
上原: この連載では仕事としてジャズと関わるようになるまでの話を伺っているんですが、小川さんがマイルスと直接コンタクトしたのはいつ頃でした?
小川:85年にマリブで会ったのが最初だね。
上原:『スイングジャーナル』誌の取材ですね。
小川: そうそう。その年の2月にニューヨークでBlue Noteレーベル復活の「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」コンサートがあって、そこにボクも行くって話をしてたら当時のマイルスのディレクターから「ニューヨークに行くならマイルスにインタビューしてきてよ、新譜(『ユア・アンダー・アレスト』)が出るから」って話になった。その依頼が1月だったんだけど、「ワン・ナイト」には当時SJの編集長だった中山(康樹)さんも行くことになっていて、彼は「OH!マイルス」ってムック本を出そうと企画していたので「じゃあ、その企画と一緒に取材しよう」という話が進んでいった。
上原:それが実現するまで紆余曲折ありまくったんですよね。
小川:最初はニューヨークでインタビューするって話になっていたんだけど、現地のColumbiaインターナショナルの担当が「マイルスがキャンセルするって言ってる」って言うから「いや、それは困る!なんとかしてくれ」って言ったら「もう一回交渉してみる」って言われたけど「やっぱりダメだって」って返された。そこで粘って再交渉したら「実はマイルスは今ニューヨークにいないんだよ。マリブにいるから」と言われので、これはもうそこに行くしかないじゃない。慌てて飛行機のチケットを取ったんだけど、そもそも新譜の音源がない。日本の担当からは「サンプル・テープ(85年当時はまだカセット)がまだ来てないんですよ。ニューヨークのインターナショナルに連絡すればあると思うので、そこで貰ってインタビューしてください」って言われたけど、そのインターナショナルの担当の手元にもテープがなかったんだよ!ともあれもうマリブに行くしかないからボクと中山とカメラマンの内山君と三人で空港に行ったけど、今度はなんと飛行機が遅れたんだ。12時にマイルスにインタビューすることになってたんだけど、空港に到着したのが12時!レーベル広報担当のシャーリーが迎えに来てくれて「連絡がないんでどうしたんだと思って、航空会社に問い合わたら飛行機が遅れてることが分かったので、マイルスのマネージメントに”飛行機が遅れてるから少し遅らせてくれないか”って頼んだら”やっぱりキャンセルだ”って言うから、”2時間の予定だったけれど1時間でもいいからお願いします“って交渉してなんとかOKもらった」と骨を折ってくれた。すぐにシャーリーの車でマイルスの家に向かうんだけど、そもそも音は聴いてないし、遅刻はしてるし、しかも英語だってそんなに流暢じゃないから、もう内心ドキドキだったよ。
上原:いよいよ御大とご対面ですね。
小川:中山がドアのブザーを押したら、マイルスのお姉さんのドロシーがニコニコして迎えてくれた。それがすごくウェルカムな雰囲気なんだよ。リビングに通されて「ちょっと待っててね。今呼ぶから」って、階段の下から2階に向かってドロシーが「ジュニアー」って呼ぶわけ。そうしたらマイルスがジュースかなんか飲みながら降りてきたわけ。会った途端「何飲む?ペリエでいいか?」とか言われて緊張しながら「はい」とか言ってさ。「今日は何しに来たんだ?」って訊ねてくるから「新譜の話を聞きたい」「写真を撮りたい」っていうんだけど、横にいる中山は絶対英語喋んない。ニヤニヤしながらボクに言わせるわけ。「マネージメントとは話を通してありますが、今度ムック本を出すのでぜひ今回お話を伺って、絵を描いてるとこも写真撮りたい」って。そしたらマイルスが目の前で「いいから見てろ」みたいな感じで絵を描き出すわけ。それを内山君がパシャパシャ撮っていく。マイルス自身が写真を撮られたがっている様子で、いろんな部屋のあちこちでポーズを取るからなかなかインタビューにならないでフォト・セッションみたいになっちゃった。そのうち「車を見るか?」って言われたので「見たい」って答えたら、地下のガレージに黄色いフェラーリがあって、エンジンかけて「いい音だろ」ってドアを開けて「乗れ」って言うから乗るわけですよ。数十メートルくらい走って「どうだ、いいだろう」ってニヤリとする。
上原:ある意味サービス精神全開というか(笑)
小川:車から降りて部屋に上がって、ようやく「音を聴きたいんだろ?」って言ってくれた。「そうなんです。レコード会社にも届いていないのでまだ聴いていません」って正直に言ったら、「当たり前だろ。俺が渡してないんだ」って言いながら「これが新譜だ」ポケットからカセット出してきた。「先にレコード会社に渡すといろんなとこに配って面倒くさいことになるからな。これはまだラフ・ミックスだ」ってそれをかけて説明し始めるわけ。その時は取材だからテープレコーダーを回してたから、言っていることがよく分からなくても後で聴けばいいやと思って、とにかくマイルスに喋らせることしたんだ。質問すると怒りそうだしね(笑)。ずっと喋っている中に時々「STING」って言葉が聞こえてくるんだけど、その時は情報が何もないから「なぜスティング?」なのかは全く分からない。マイルスの一方的な喋りが一段落ついた時に「スティングが入ってるんですか?なんかラップみたいなフランス語は…」とか質問して、そうしながらアルバム全体を一通りなんか聴かせてくれて1時間経っちゃったわけ。約束したインタビュー時間だから「じゃあ帰ります」って言ったら「なんで帰るんだ」って言い出すわけ。「この後どうするんだ?」って聞かれたので「飛行場に行って5時の飛行機でニューヨークに戻ります」って言ったら「なんでここにいないんだ」って言う。だからしばらく雑談していると、いきなり「着替える」って言い出してベッドルームに行っちゃうんだけど「一緒に来い」って連れて行かれたわけ。で、着替え始めるんだけど、ズボンというかパンツ脱いで「この傷見ろ」って言うんだよ。それは交通事故の古傷なんだけど、雑談の時に「私は整形外科の医者でニューヨークでリハビリテーションの勉強をしていた」と話したので「膝が痛くてしょうがないんだ。お前、整形外科医なら分かるだろう」と言い出した。「ちょっといいですか?」って触ったら、もう関節がカチカチに硬くなって筋肉が固まっていたわけ。「柔らかくしなきゃダメだから、リハビリをやった方がいいですよ」って言って、どうせやらないだろうと思いながら簡単な大腿筋のリハビリ・トレーニングを3つか4つ紙に書いて、「こういう動きをしてください」って渡したわけ。

上原:その取材が85年の3月で、その年の7月には『ライブ・アンダー・ザ・スカイ』で再来日しましたね。
小川:中山とボクで出来上がった『OH!マイルス』を渡しに行ったんだ。ホテルにチェックインするタイミングで待ってたら、マイルス御一行が到着した。もちろんマイルス本人がチェックインの手続きなんかしないから、そのままエレベーターに乗ろうとする。ちょっと人垣が途切れた瞬間に中山が『OH!マイルス』を掲げたわけ。それをチラッと見たマイルスは、こうやって「来い」って手招きしてる。誰か知り合いがいるのかな?こっちに向かって「来い来い」ってやってる。「もしかしてボク?」ってやったら頷いたのでエレベーターに乗り込んでムックを渡したの。そうしたらいきなりヘッドロックをかけてきて「お前、分かるか?」っていうので「足の調子が良くなったみたいですね」て返すと「お前が教えてくれたリハビリをやったんだ」っていう。そうしてヘッドロックされたままエレベーターに乗ってマイルスの部屋まで連れて行かれてたの。それが夕方の5時か6時くらいだったんだけど、そこから中山と一緒に夜中の2時まで付き合わされたんだよ(笑)

♫ 9月27日(日)に小川隆夫&内山繁のトーク&サイン会イベントあり! https://diskunion-jazztokyo.blog.jp/archives/31444464.html?_gl=1*1xry0lp*_gcl_au*MTAxNDA0ODI1Ny4xNzg5MTgxODgx*_ga*NDE3MTMzMDY0LjE3ODkxODE4ODE.*_ga_0G56KCMRW5*czE3ODk0NTA2MDAkbzUkZzAkdDE3ODk0NTA2MDAkajYwJGwwJGgw*_ga_HE7YEBEBLG*czE3ODk0NTA2MDAkbzUkZzAkdDE3ODk0NTA2MDAkajYwJGwwJGgw
>>>プロモ情報:小川さんマイルス本新刊
『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと: マイルス・スピークス』(小学館文庫)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09407564
『マイルス・デイヴィス大百科』(シンコーミュージック)
https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0657403/
内山繁マイルス写真集『NO PICTURE!』(東京キララ社)
https://www.tokyokirara.com/items/28338971(中古は市場に在庫あり)




